2026年7月
日々のひとりごとバストープ、見積もり5倍だそうです|「キャンセル界隈」に昭和世代が思うこと
雑誌を読んでいたら、見覚えのあるお風呂が出てきました。
日経TRENDYの「キャンセル界隈」の特集です。〇〇キャンセル界隈——世代を問わず定着した言葉なのだそうで、ページをめくっていたら、あの布のお風呂が載っていたのです。
私、先端だったらしい
先月、浴槽、大きすぎ問題。という記事で、リクシルの布製浴槽「バストープ」が気になる、と書きました。湯に浸かりたいときだけ、布の四隅を引っ掛けて浴槽にする。使わない日は、たたんで広いシャワー空間として使う。
その見積もり件数が、当初の目標の5倍に上ったそうです。ほかにも、浴槽なしの物件や、浴槽レスのシャワーユニットも人気なのだとか。
ケチ根性と、大きすぎる浴槽への恨みからたどり着いた場所が、どうやら時代の最前線だったようです。人生でトレンドの先端に立ったことなど一度もない私が、まさかお風呂で。
「できない」ではなく「あえてしない」
特集を読んでいて、なるほどと思ったことがあります。
「キャンセル界隈」という言葉のみそは、「できない」のではなく「自分の意思で、あえてしない」というところにあるのだそうです。お風呂に入れなかった、のではない。今日はあえて入らない。そう言い換えることで、後ろめたさをポジティブに裏返している。
昭和育ちの私は、ここで少し考え込みました。
私たちの世代は、「毎日湯船に浸かってこそ」「〜してこそ、ちゃんとした暮らし」という物差しの中で育ちました。シャワーだけで済ませた日の、あのうっすらとした後ろめたさ。誰に見られているわけでもないのに、どこかで「手抜きをした」気になっていた。あの感覚に名前をつけて、堂々と裏返してみせた若い人たちの発明に、正直、少し感心してしまいました。
ただ、私のシャワー生活は「キャンセル」ではなかった
ここで、自分の話です。
私はかつて、節約のためにシャワーだけの生活をしていました。冬でも10分、震えながら。
やってみて分かったのは、二つ。思ったほど、節約にならないこと。そして、私はできれば浴槽に入りたい人間だということでした。だから湯船に戻ったし、戻ったら戻ったで浴槽の大きさに悩んで、バストープに行き着いたわけです。
つまり、あのころの私のシャワー生活は、「キャンセル」ではありませんでした。あれは、ただの我慢です。
我慢とキャンセルは、違う。 分かれ目は、自分で選んでいるかどうか、なのだと思います。入りたいのに入らないのは我慢で、入らなくても平気だから入らないのは選択。同じ「湯船に浸からない暮らし」でも、中身はまるで別ものです。だから「あえてしない」と言えるためには、その前に一度、自分に聞かなくてはいけません。私は本当は、どうしたいのか。
「界隈」は、これからも増えるらしい
特集によれば、2026年に入って、お風呂や洗濯のような日々の行動だけでなく、もっと大きな「ライフスタイルそのもの」をキャンセルする人が、SNSで目立ち始めているのだそうです。
昭和世代が「持ってこそ」「してこそ」と、どこか縛られてきた価値観が、ひとつ、またひとつ、「〇〇界隈」という名前をもらって、選べるものに変わっていく。
考えてみれば、おひとりさまの私は、とっくにいろいろなことを「あえてしない」で生きてきました。昔はそれを、少し変わった人、と呼ばれた気がします。今は、界隈と呼んでもらえるらしい。呼び名が変わっただけで、こちらの暮らしは何も変わっていないのですが、生きやすい呼び名が増えるのは、悪くないものです。
さて、今夜は湯船の日です。ためると決めた日のお湯は、我慢の反対側にあって、ちゃんと気持ちいい。
布のお風呂のショールームには、やっぱりそのうち、行ってみようと思っています。
お風呂と暮らしの話、こちらもどうぞ → 浴槽、大きすぎ問題。/冬でも10分シャワーで凍えてた私が、湯船に戻った話