2026年7月
日々のひとりごと母は今日も、軽トラで畑に行く|親の免許返納を、言い出せない
「今日は、お一人で?」
「はい、ひとりで」
「どうやって、いらしたんですか」
「車で。自分で運転して」
職場での、ある日の会話だ。90代の男性だった。年齢のわりに、しっかりしている。でも、動作は、あやしい。とっさのときに、すぐブレーキが踏めるのだろうか。うちの病院は、交通量の多い中心地にある。聞けば、この暑さの中、畑仕事をしてきて、その足で来たのだという。
ツッコミどころは、いくつもある。でも、患者さんに、軽々しくは言えない。
言えないまま、その背中を見送って、私は別のことを考えていた。うちにも、いるのだ。
叔母は「メガネを買ってでも」と言った
母の姉、私には叔母にあたる人が、独居で暮らしている。もうすぐ90歳になる(「89だから」と訂正されるのだけれど、あまり違いはないと思う)。
その叔母が今回、免許の更新に通らなかった。目が、見えていないのだという。
いいきっかけだと思った。だから、そう言った。これを機に、運転は卒業にしよう、と。
返ってきた言葉は、こうだった。
「メガネを買ってでも、もう一度受ける」
母は「あなたが送迎してくれるの」と言った
80代の母は、今日も颯爽と、軽トラックで畑に行く。あの90代の男性と、同じように。
段階的にでも、運転を減らしてほしい。そう切り出してみたことがある。母の返事は、決まっている。
「じゃあ、どうやって病院に通えばいいの。あなたが送迎してくれるの?」
実家までは、高速道路を使って2時間。毎週の通院を、私が担うことはできない。反論されると、私は口をつぐんでしまう。うまく、言えない。
「誰が面倒見てくれるの」に、正論は全敗する
免許返納の話は、正論では進まない。身にしみて、わかってきた。
こちらは「事故が怖い」という話をしている。でも親にとってそれは、「自立を手放せ」という話に聞こえている。車は、買い物であり、病院であり、畑であり、人に頼らずに生きている証そのものだ。代わりの足を差し出せないまま「やめて」と言う娘の正論は、親から見れば、ただの取り上げ話なのだと思う。
だから最後は、いつも同じ場所に着く。「結局、誰が面倒見てくれるの?」——そこで、話は終わる。
私自身は、病院や学校や駅の近くを選んで、家を建てた。いずれ、歩いて通えるように。普段からバスや電車にも乗る。乗ることで、わずかでも路線を残す側に一票を入れたい、という気持ちもある。でも、この話は、母にも叔母にも、あの90代の男性にも、通じない。車とともに生きてきた土地と、暮らしがあるからだ。
調べてわかった、5つの対策
答えは出ていない。でも、この記事を書くにあたって調べて、「正論で押す」以外にやれることが、いくつかあると知った。同じ立場の誰かのために、書いておく。
- 順番を逆にする。 「やめて」から始めずに、「足の計画」から始める。通院の送迎サービス、買い物は生協や移動販売、地域によっては予約制の乗合タクシー(デマンド交通)もある。何があるかは、実家の地域の地域包括支援センターに聞くと早い。代わりの足が見えてから、初めて運転の話ができる。
- 叔母には、眼科。 「もう一度受ける」に反対しない。かわりに「まず眼科で目を診てもらってから」に乗り換える。治療で見えるようになるなら、それはそれでいい。見えないままなら、医師の口から伝わる。どちらに転んでも、安全側に倒れる。
- 母には、範囲を決める。 ゼロか百かではなく、夜・雨の日・遠出・交通量の多い道はやめて、畑と近所だけにする。免許更新のときには、安全装置つきの車だけ運転できるサポートカー限定免許という選択肢もある。
- 家族の言葉が通じないなら、第三者。 全国共通の安全運転相談ダイヤル「#8080」に電話すると、地元の警察の相談窓口につながる。家族からの相談もできる。それから、かかりつけ医のひとこと。娘の百の言葉より、先生の一言のほうが、親には届く。
- 返納したあとには、運転経歴証明書。 身分証明書の代わりになり、地域によってはタクシーやバスの割引などの特典もある。「免許を失う」ではなく「切り替える」と思えるだけで、少し違う。
※制度や特典は、地域で差がある。最新の内容は、警察や自治体の窓口で確かめてほしい。
それでも、心は晴れない
対策を並べてみても、正直、心は晴れない。
母と一緒に住むことは、できない。批判はあるだろうと思う。でも、できないことを、できると言わないことも、娘の誠実さだと思っている。できない前提で、できることを探すしかない。
何かあってからでは、遅い。それだけは、切に思う。事故は、母だけの問題では終わらない。誰かを巻き込んだら、母が80年かけて重ねてきた人生の終わりが、その色に塗り変わってしまう。
でも、言えない。言えば、キレられる。「あなたが面倒見られるの」と。この繰り返しの中で、同じように口をつぐんでいる息子や娘が、この国にはたくさんいるのだと思う。
母のことは、これまでも少しずつ書いてきた(母を、少し遠くから見ている/母の入院で本気で考えた話)。この免許の話も、その続きだ。何かが動いたら、また書こうと思う。
今日も母は、麦わら帽子をかぶって、颯爽と軽トラに乗る。
その背中に、私はまだ、何も言えていない。