2026年6月
日々のひとりごと母を、少し遠くから見ている|「跡取りじゃない娘」の、言えない本音
母のことを書こうとすると、いつも手が止まる。
前に、母が元気でいてくれてありがたかった、という話を書いた。あれは本当のこと。嘘はひとつもない。でも、本当のことって、たいてい一つじゃない。
▲ 嫌いなわけじゃない。むしろ、心配している。でも、近づけない。
私は、跡取りではない。きょうだいの中で、そういう立場だ。
子どもの頃から、何かにつけて言われてきた。「他の人はちゃんとできるのに」「だからお前は」。勉強のことも、いつも誰かと比べられた。跡取りは、いつも自慢で、いつも物差し。比べられて、足りない側に置かれる。それが、何十年も積み重なってきた。
人にはできて、私にはできない。──この感覚は、たぶん私の人生の通奏低音みたいなものだ。
ずっと、自分の努力が足りないせいだと思っていた。だらしないから、要領が悪いから、と。
でも、以前ブログに少しだけ書いたけれど、娘の特性(ADHD)を知ったとき、私はどこかで、自分のことを言われているような気がした。診断を受けたわけじゃない。ただ、思い当たることが、あまりにも多かった。あれは、怠けていたわけでも、足りなかったわけでもなかったのかもしれない。ただ、私という人間に、世間の物差しのほうが、うまく合っていなかっただけなのかもしれない。
そう思えるようになるまでに、50年かかった。
母に悪気はない、と思う。たぶん母自身もそう育てられて、そういう時代の、そういう土地の空気の中で生きてきた。長男の嫁として世間体に縛られ、「ちゃんとしなければ」の重しを、ずっと背負ってきたのだろう。だから、これは母個人を責める話ではない。責めたいのは、人ではなく、そうさせてきた仕組みのほうだ。
でも、悪気がないからといって、傷が消えるわけでもない。
たとえば、母にプレゼントを渡す。すると母は、別の誰かがくれたものを、嬉しそうに褒める。私のものに「ありがとう」は、なかなか返ってこない。小さなことだ。本当に、小さなこと。でも、その小さな「他の人のほうが」が、何十年分も積もると、けっこうな重さになる。
積もったものは、今になって、静かに私の心の重しになっている。たぶんそれが、母と少し距離を置いてしまう理由だ。会えば優しくしてくれる。外食に連れて行って、デザートまでごちそうしてくれる。それでも、長くは一緒にいられない。近づくと、昔の物差しが、また顔を出す気がするから。
母と私は、性格が正反対だ。社交的でお節介な母と、ひとりが好きな私。重なる部分が、本当に少ない。
「恩返し」「親孝行」。世間が当たり前のように使うこの言葉が、私には、少しまぶしすぎる。きれいな言葉のぶんだけ、できない自分が責められている気がして、じわじわとすり減っていく。──このブログを書きはじめた理由の、たぶん半分くらいは、ここにある。どこにも言えなかった本音を、せめて文字にしておきたかった。
賛否はあると思う。「親なんだから」と言われるのも分かっている。それでも、正直に書いてみた。
同じしんどさを、抱えている50代の方は、いないだろうか。
優しくされればされるほど、申し訳なさが募る。嫌いなわけじゃない。むしろ、心配している。でも、近づけない。人にはできて、自分にはできない、あの感覚を、いまだに持て余している。──そういう、名前のつかない感情を抱えている人が、きっと私だけじゃない気がして。
ひとつだけ、50年かけて分かったことがある。できなかったのは、私がダメだったからじゃない。物差しのほうが、私に合っていなかった。それだけのことだ。もし同じ言葉を浴びて育った人がいたら、これだけは伝えたい。あなたも、たぶん、ダメじゃない。
そして、この「少し遠くから見ている」距離は、現実の問題とも、つながっている。
母にもしものことがあったとき、私はどう動くのか。実家を、田畑を、父が遺した松を、どうするのか。跡取りではない私のところに、もしかしたら“負の財産”だけが回ってくるんじゃないか──そんな不安も、正直、ある。
考えたくない。でも、考えないままでいると、いちばん困るのは、たぶん私自身だ。
だから次は、感情の話ではなく、現実の手続きの話を書こうと思う。認知症になる前に、元気なうちにしておくべきこと。相続は、必ずしも平等じゃないという話。「実家じまい」と向き合うための、具体的な準備のこと。
すり減りながらでも、目をそらさずにいたい。それが、私なりの、母との向き合い方なのかもしれない。
実務編に続きます → 実家じまい・相続のために、元気なうちに準備したいこと