2026年6月
日々のひとりごとしんどいと言いながら、母は元気だった|実家で見えた田舎のコミュニティと「実家じまい」という宿題
先日、車で2時間かけて実家に帰り、母のところに泊まってきた。
母は80代、ひとり暮らし。「もう年だから、あちこちしんどくてねぇ」が口ぐせだ。電話のたびにそう言うものだから、正直、帰る前は少し身構えていた。
ところが、いざ顔を見れば、しんどいと言いながらも、ちゃんと元気にやっている。ごはんを作り、庭の手入れをし、近所付き合いもこなしている。その姿に、まずはほっとした。
実は去年の年末、母は生死を彷徨った
胆嚢の手術。腹腔鏡でできるはずが、開腹手術に切り替わって、それはもう大変だった。詳しいことはここには書かないけれど、病院に勤めている身として、いろいろと思うことがあった。検査技師として患者さんを見る立場と、娘として母を案じる立場は、こんなにも違うものなのか、と。
あのとき、つくづく思った。──人はいつ、何があるか、本当にわからない。
そしてそれは、ずっと先延ばしにしてきた「実家のこと」「介護のこと」を、初めてはっきりと自分ごととして考えるきっかけになった。
実家まで車で2時間、そして老犬
実家までは、車で2時間。気軽に「ちょっと様子を見に」とはいかない距離だ。
おまけに、実家には老犬がいる。柴犬の、16歳。だいぶおじいちゃんだ。若い頃はシュッとしていたのに、今ではすっかり太っちょで、体重は15kgある。母と並んで歩く後ろ姿が、なんだかよく似ているのは、ここだけの話。
▲ 16歳、すっかり太っちょの柴犬。後ろ姿が、なんだか母に似ている。
もし母に何かあったら、私はどう動けばいいんだろう。この子は、どうなるんだろう。仕事は。──考え出すと、答えの出ない問いばかりが浮かんでくる。
田舎のコミュニティは、奥が深い
ただ、今回泊まってみて、田舎のコミュニティのすごさを、あらためて感じた。
朝、母が「○○さんの様子が変だって近所の人が言ってるから、ちょっと見に行ってくる」と出かけていく。誰かが誰かを、さりげなく気にかけている。
その留守中、今度はインターホンが鳴る。「おかーさん、いる?」と、ご近所さんが採れたての野菜を届けてくれる。母が不在のときは、玄関先にそっと置かれていることもあるらしい。まるで、笠地蔵だ。
▲ ご近所さんからの、採れたて野菜。どっさり、ありがたい。
散歩に出れば、1時間は帰ってこない。心配になりかけた頃に、けろっと帰ってくる。どうやら、道々でご近所さんとおしゃべりしていたらしい。
母は、私とは違う。社交的で、ちょっとお節介なところもある(と、娘は思っている)。でも、その性格に、母はずいぶん助けられているのだと思う。
病院で母が大変だったとき、私は「介護は、いったいどこでするんだろう」と考えた。私の家か、施設か、それとも実家か。けれど、こうして実家に泊まってみると、答えはそう単純じゃない。これだけご近所さんに支えられている母を、慣れない土地に連れ出すことが、本当に幸せなんだろうか、とも思う。
田舎のコミュニティ。なかなか、奥が深い。
役に立たない娘を、母はもてなしてくれる
この通り、実家に帰ったところで、たいして役に立たない娘である。それでも母は、私を外食に連れ出し、デザートまでごちそうしてくれる。
▲ 「一人だと入りにくいから」と、母が連れ出してくれたお店。
▲ デザートまで。親孝行のつもりが、すっかりもてなされている。
「一人だと、こういうお店には入りにくいから。一緒に食べられて、うれしいの」
そう言って笑う母を見ていると、胸の奥がじんわりする。親孝行のつもりで帰ったはずが、結局、私のほうがもてなされている。
立派な松と、「実家じまい」という宿題
そんなあたたかい時間の一方で、現実的な問題も、ちゃんと頭の片隅に居座っている。
田舎の家、あるあるだと思う。池のある、手入れの行き届いた庭。そして、立派な松。──これは、亡き父が大事に育てた松だ。今も、父に代わって職人さんにお願いして、手入れを続けてもらっている。
その松を眺めながら、ふと思うのだ。──これ、いったい、これからどうしたらいいんだろう、と。
手放すにしても、残すにしても、簡単じゃない。父が遺したものだと思うと、なおさらだ。
いわゆる「実家じまい」の問題。今すぐどうこうという話ではない。でも、いつか必ず向き合わなければならない宿題として、静かに横たわっている。
何が起こるか、本当にわからない。だからこそ、元気なうちに、少しずつでも考えておきたい。
とはいえ、今回はまず、母が元気でいてくれたこと。それが、いちばんありがたかった。
また、近いうちに帰ろう。次は私が、デザートをごちそうする番だ。