2026年7月
日々のひとりごと「くそっ」と漏らす若者の横で、車窓を眺める私は変なのかもしれない
先日、都心に向かう電車の中でのことです。
両隣に座った若者が、二人とも、スマホでゲームをしていました。
かなり熱中していて、片方からは、ときどき「くそっ」という小さな声も漏れてきます。よっぽど惜しいところで負けたんでしょうか。
▲ みんなスマホ。私は、ぼんやり車窓派。
降りる駅、大丈夫?
隣で見ていて——いえ、見てはいないんですが、気配だけで——ふと、心配になったことがあります。
こんなに短時間で、これだけ集中してしまって、降りる駅、大丈夫なんだろうか。
画面に夢中になりすぎて、気づいたら乗り過ごしていた、なんてことにならないんだろうか。……まったくもって、余計なお世話ですね。こういうことが気になるのは、私だけでしょうか。
今どきの若い人は、こうやって隙間時間にゲームをするのが、当たり前なんでしょう。電車の数十分も、ちゃんと使い切っている。えらいものです。
かくいう私は、ゲームが続かない
そういう私はというと、ゲームは、ほとんどやりません。
やるとしても、マインスイーパかテトリスくらい。シンプルな法則で成り立っているものは、わりと好きなんです。
昔、スーパーマリオに夢中になった時期もありました。でも、隠しアイテムが出てきて、「攻略本」なるものの存在を知ったあたりで、なんだか違うな、と思って、続かなくなりました。
正解を、外から与えられるのが、どうも性に合わないみたいです。自分の頭で、シンプルに考えられる範囲が好き。
相手を攻撃するようなファイター系も苦手だし、たまごっちも続きませんでした。育成も、戦闘も、どうやら私向きではないようです。
老眼と、指の速さの問題
それに加えて、今はもう、物理的な問題もあります。
老眼で、画面の細かいところが見えにくい。指も、昔ほど素早くは動きません。今どきのスマホゲームのあのスピード感には、正直、ついていける気がしないのです。
隣で、華麗に指を滑らせている若者を見ながら、素直に「すごいなあ」と思いました。まぶしいくらいです。
ぼんやり車窓を眺める私のほうが、変なのかもしれない
そんなことを考えながら、私はいつも通り、ぼんやりと、人や車窓を眺めて過ごしていました。
でも、はたと気づいたんです。
今どきは、こっちのほうが、変な人に見られているのかもしれない、と。
スマホも見ずに、ただぼーっと窓の外を眺めている、50代の女。傍から見たら、それはそれで「何もしていない、手持ち無沙汰な人」に映っているのかもしれません。
若い人は、隙間時間をゲームで埋める。私は、隙間時間を、ぼんやりで埋める。どちらが正しいという話でもなくて、ただ、時代によって「普通」の中身が、静かに入れ替わっているだけなんだろうな、と思います。
窓の外を流れていく景色。知らない街の、知らない人の暮らし。あれこれ想像しながら眺めるあの時間が、私はやっぱり好きなのです。何も生み出さない時間だけれど、たぶん、そういう「余白」で、私はできている。
それでも私は、これからもきっと、車窓派です。
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