2026年6月
日々のひとりごと私が樹木葬を選ぼうと思う理由|葬儀は大きくなくていい、と50代おひとりさまが考えるわけ

最初に、ひとつだけ書かせてください。
これから書くのは、お寺さんや宗派、昔ながらの弔いを否定する話ではありません。受け継がれてきたものの尊さも、手を合わせる場所がある安心も、私はちゃんと大事だと思っています。
そのうえで——おひとりさまの私が、「自分の最期をどうしたいか」を考えた末に、今、樹木葬とシンプルな見送りに気持ちが傾いている。今日は、その理由を正直に書いてみます。
きっかけは、十数年前の義親の葬儀
まだコロナの前のことです。義理の親を見送ることになりました。場所は、田舎の地方。
正直に書くと、残されたお金は、ほとんどありませんでした。遠くに住んでいた私たちは、できる範囲で、こぢんまりと送れたら——そう考えていました。
ところが、そう簡単にはいきません。返ってきたのは、「残された親族の名誉のためにも、きちんと普通のお葬式を」という言葉でした。
自分の親を見送るはずが、いつのまにか"親族の名誉"の話になっていく。自分たちのことなのに——と、私はただ戸惑うばかりでした。
その土地の葬儀に、ただ驚いた
葬儀そのものにも、私は驚いてばかりでした。
雛壇がしつらえられ、お坊さんの両脇には、両家の本家。お膳の置かれた席に記されているのは、家長の名前だけ。夫の名前はあっても、私や子どもたちの名前は、どこにもありませんでした。
お酌は、雛壇のほうへと運んでいく。お酒もすすむにぎやかな席で、初めて見る作法の連続に、私たちはただ気おされて、隅で小さくなっているしかありませんでした。
戸惑っている私に、お坊さんが言葉をかけてくださいました。けれど、それはどこかで聞いたような型どおりの言葉で、すぐあとにお金の話が続きました。——その瞬間、こみ上げていたはずの涙が、すっと引いていくのを感じました。あの場の私には、その言葉がどうしても、どこか遠くの話のように響いてしまったのです。
(念のため書いておきます。これはあくまで、あの土地・あの場で、私が見た一例です。すべてのお寺やお坊さんがこうだ、という話では決してありません。心のこもった弔いをしてくださる方が大勢いることも、よくわかっています。)
そして葬儀が終わってからも、お墓を維持するためにお金はかかり続ける。立派なお式も、そのあとも、ずっと。
——これは、いったい、誰のためのものなんだろう。
あのとき胸に残った問いが、今こうして「お墓や葬儀ってなんだろう」と立ち止まる、いちばんのきっかけになりました。
あのとき考えた、「葬儀は、なんのために?」
葬儀やお墓は、いったい、なんのためにあるんだろう。
故人のため? 見送る人の気持ちの区切りのため? それとも、周りへの「ちゃんとやりました」という体裁のため? たぶん、そのどれもが少しずつ混ざっていて、正解はひとつではないのだと思います。
だからこそ難しい。形を小さくしようとすると、「故人がかわいそう」「手を抜いた」と受け取られてしまうことがある。でも、本当にそうでしょうか。大きさやお金のかけ方と、故人を想う気持ちの深さは、別のものなんじゃないか——あのとき、そう感じたのを覚えています。
だから私は、自分の番は「身軽に」と思う
私には、娘が二人います。
いつか私を見送るとき、あの「当たり前」と現実のはざまで、あの子たちに消耗してほしくない。お金のことでも、お墓の管理でも、親戚づきあいの気疲れでも、できるだけ背負わせたくないんです。
おひとりさまは、自分のことを自分で決めておける身軽さがある。だったら、最期くらい、自分で決めておこう。そう思うようになりました。
樹木葬を選ぼうと思う理由
そこで行き着いたのが、樹木葬です。調べてみて、「ああ、これは今の私に合っているな」と思えた理由がいくつかありました。
- 後を継ぐ人がいらない。樹木葬は永代供養が前提のものが多く、寺院や霊園が管理・供養をしてくれます。娘たちに「お墓を守る」という宿題を残さずにすみます。
- 費用を抑えやすい。墓石を建てないぶん、一般的なお墓よりお金がかからない傾向。義親のときに痛感した「お金の問題」を、自分の代でくり返したくない。
- 自然に還れる。樹木を墓標にして土に還る、というかたちが、なんだか私にはしっくりきます。
- 宗派を問わないことが多い。これは大事な点で、お寺が営む樹木葬もたくさんあります。つまり、伝統や信仰と対立するものではない。そこも安心でした。
派手ではないけれど、私にはちょうどいい。そんなお墓の形です。
お墓や供養の形は、ひとつじゃない
念のため、書き添えておきます。見送りやお墓の形は、今は本当にたくさんあります。
樹木葬のほかにも、納骨堂、永代供養墓、合葬墓、海への散骨、遺骨の一部を小さく手元に置く「手元供養」……。お葬式そのものも、家族葬や一日葬など、規模を選べる時代になりました。昔ながらのお墓を建てて、代々受け継いでいくという形も、もちろんそのひとつです。
どれが正しい・えらい、ということはありません。その人や、その家族に、いちばんしっくりくるものを選べばいい。私はたまたま樹木葬が合っていただけで、これは「おすすめ」でも「正解」でもないんです。あなたにはあなたの、ちょうどいい形がきっとあります。
もし少し気になったら、図書館の終活コーナーをのぞいてみたり、自治体や霊園がひらく相談会に足を運んでみたり——そんな小さな一歩からで、十分だと思います。
もう一度、これだけは
最後に、もう一度だけ書かせてください。
私は、きちんとした葬儀やお墓を選ぶ人を、否定する気持ちはまったくありません。何が正解かは、人それぞれ、家それぞれ。大切な人を盛大に送りたい、という気持ちも、とても尊いものだと思います。
ただ、おひとりさまの私は、自分の最期くらい、自分で決めておきたい。残される娘たちに、できるだけ気をもませたくない。だから今のうちに考えて、こうして言葉にして、ちゃんと伝えておこうと思うのです。
それが、私にできる最後の「身軽さ」であり——たぶん、いちばんの優しさだから。