2026年6月
仕事のひとりごと「ひとりで。」
検査をするとき、私はいつも、その方のデータや背景に目を通してから臨むようにしている。年齢、既往歴、どんなお薬を飲んでいるか。家族構成や、ひとり暮らしかどうか。
ただ数値を測るだけなら、いらない情報なのかもしれない。でも、目の前のその人が、どんな毎日を生きて、今ここに座っているのか。それを少しでも知ってから向き合いたいと、私は思っている。
カルテには「独居」
その日の患者さんは、90代後半の男性だった。記録には、ひとり暮らし、と書いてあった。
90代後半で、おひとり。それだけで、私は少し背筋が伸びる思いがした。今日ここへ来るまでに、どれだけのことを、ひとりでこなしてきたのだろう。
「ひとりで。」
検査の準備をしながら、私はつい、聞いてしまった。
「おひとりですか? ここまで、どうやって来られたんですか?」
返ってきたのは、ひとことだった。
「ひとりで。」
そして少し得意げに、こう続けた。「車で来た。」
「すごいですね」とは、言えなかった
ええ?と、私は言葉に詰まった。でも、「すごいですね」とは言えなかった。
だって、足元もおぼつかない。さっきは、帰り道も迷っていた。その方が、ハンドルを握ってここまで来て、また運転して帰っていく——。想像すると、素直にすごいとは、とても言えなかった。
本当は、はっきり言ったほうがいい
田舎で車がない不便さは、よくわかる。おひとりで、いろいろ大変なことも。だからこそ、できればバスやタクシーを使ってほしい。……とはいえ、この田舎は、まだまだ行政の支えも足りていないのだけれど。
カルテには、お子さんは遠くにいる、と書かれていた。そばで、免許返納を促せる人がいないのだ。
病院でも、つい当たり障りのない言葉を返してしまう。でも本当は、はっきり言ったほうがいい。何かあってからでは、遅いのだから。
ただ、ご本人は少し得意げだったし、こういう話は、気分を害する人も多い。だから、みんな言葉を飲み込んでしまう。私も、そのひとりだった。
それでも、考えてしまう
私も、おひとりさまだ。
いつか私が同じ年になったとき、「もうやめたら」と言ってくれる人は、そばにいるだろうか。自分で、その潮時に気づけるだろうか。
あの「ひとりで。」の、たくましさと、危うさ。そのどちらも、たぶん他人事じゃない。だからつい、考えてしまうのだ。